播州三木打刃物(ばんしゅうみきうちはもの)とは?

天正8年(1580年)羽柴秀吉は、自らの進攻により破壊された三木の町の復興を積極的に推進した。この時、大工職人とともに鍛冶職人が多数必要とされ、三木の大工道具の発展に至る基礎が築かれたとされている。 寛保2年(1742年)の文献には12軒の鍛冶職人が記載され、文化文政期(1804〜1840年)には、鋸、のみかんななど品種の多様化が進み、現在、全国有数の刃物産地である。

主要地域: 兵庫県 三木市








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