京表具(きょうひょうぐ)とは?
画家、書家、陶工として精通していた本阿弥光悦(1558年〜1637年)は、徳川家康から元和元年(1615年)に京都洛北鷹峰の地を拝領し、ここに芸術村を建設したが、この村には本阿弥一族の他、友人、職人等が集住しており、その中に、紙屋宗二という表具職人が居住していたことが「光悦町古図」(1627年頃作成)から確認できるし、1685年に発行された京都における各産業の職人録「京羽二重」の中に表具師や表補絵師の住所、名前が記述されていることから、京都に相当数の表具職人が在住していたことがわかっている。また、ビィジュアル史科日本職人史によれば、17世紀後半〜18世紀後半の京都において、表具師、経師、屏風張り職人が、糊、刷毛、へら、包丁、定規、などを用いて、掛軸、巻物、屏風等の京表具を製造している仕事場の風景の描写があり、江戸時代の初期には既に産業として確立されていたことがわかる。
表具の歴史は、3世紀から6世紀の中国での王家の書画の表装を司る名手が登場して以降、中国仏教史上の最盛期であった隋、唐代に仏教の漢訳・書写が国家的規模で行われて経巻の表装技術が発達し、この技術が仏教とともに日本に伝わったことに始まる。
日本の表具は、京都の美的環境と京都人の洗練された美意識に支えられ、また、湿度の高い盆地の風土に適して発展し、床の間の発生や室町末期から桃山、江戸時代にかけての茶道の興隆、特に千利休によって大きな刺激をうけることとなり、茶人たちの美意識を反映した日本独自の表具が誕生することとなった。

主要地域: 京都府 京都市 他








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